龍馬の家系
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龍馬の家系
戦乱の畿内から土佐へ
注)畿内(きだい、きない):律令国家が定めた行政区域。山城・大和・河内・摂津・和泉

坂本龍馬家系の祖となったのは、太郎五郎という畿内の人で、近江の坂本城下で
手広く商いをしていたようだ。当時の坂本は明智光秀の居城であり、水陸交通の要衝
でもあったことから人口も多く、たいへん繁栄していたという。 
しかし、天正10年(1582)の本能寺の変以降の戦乱で、坂本は落城、衰亡した。
そこで太郎五郎一家は、光秀の遠い縁戚であり同盟者でもあった長宗我部元親を頼
って土佐に移住し、長岡郡才谷村(現、南国市才谷)で農業を営んだ。その後、2代
目の彦三郎、3代目の太郎左衛門と、農業経営が続く。

才谷村から高知城下へ
寛文6年(1666)、太郎五郎から4代目に当たる守之が才谷村から高知城下に移
り、「才谷屋」の屋号で質屋を始めた。世の中は徳川の覇権が確立し、山内家による
土佐支配も安定し始めた時期でもあり、才谷屋の商いは軌道に乗り始めた。
そして、守之に次ぐ正禎の時代には、今まで借家で営業していた才谷屋の屋敷を
買い取り、次の直益に至る元禄・享保時代には、呉服業や酒造業などへと事業拡大
を図るなど驚異的な成長を見せ、播磨屋や櫃屋とならび称される、高知城下屈指の
豪商に発展した。

郷士坂本家の創設
明和7年(1770)太郎五郎から数えて6代目の直益は、本丁筋1丁目に才谷屋の
分家としての坂本家を創設する一方、念願の「郷士株」を購入した。そして明和8年
(1771)土佐藩から新規郷士取り立ての裁可が降り、「郷士」坂本家が発足した。
むろん「坂本」の家名は、初代太郎五郎が住んだ近江坂本にちなんだとされる。

 直益は長男直海に郷士株を相続させ、次男直清に才谷屋を継がせた。文明4年
(1784)直海は郷士御用人として召し出され、正式に土佐藩士となった。
直海の子、直澄には男子が生まれなかったので、娘の幸が婿養子を取った。それ
が、龍馬の父親となった直足(八平)である。
図1坂本家発祥の系図

図3高知市周辺マップ:旧才谷村と和霊神社の位置を表示

図4才谷付近のマップ:坂本神社の周辺は才谷龍馬公園

写真1坂本家系初代・太郎五郎の墓:明和4年才谷屋三代目八郎兵衛直益ら建立(クリックで拡大)

写真2和霊神社:直益が才谷屋守護神として建立、龍馬も脱藩時ここで祈願(クリックで拡大)

参考文献
写真・図面引用先
写真1 坂本家系初代・太郎五郎の墓:http://kochi.michikusa.jp/newpage384.html 高知県の観光 坂本太郎五郎の墓
写真2 直益が建立した和霊神社:https://4travel.jp/travelogue/10521281 龍馬の足跡をたどる旅 B龍馬脱藩決意の杜  和霊神社に参る
図 1 坂本家発祥の系図 :http://803fine.blog69.fc2.com/blog-entry-602.html にぽぽのお散歩日記
図 2 滋賀県坂本付近の現状マップ :http://www.sakamoto-cable.jp/utilities/accessmap.html比叡山坂本ケーブル
図 3 才谷村(現、南国市才谷)の位置 :http://emerarudo2h.blog95.fc2.com/blog-entry-133.html 仁淀川散策 才谷龍馬公園
および :http://www.kochinet.ed.jp/ohtsu-e/syoukai/basyo.htm 大津小学校の場所

龍馬の祖先参考文献
http://803fine.blog69.fc2.com/blog-entry-602.html にぽぽのお散歩日記 2010年春

http://www.kakeiken.com/report0013-2.html 扶桑家系研究所 リポート13−2 坂本氏一族姻族系図(幕末維新の群像2)

http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/place/post-4.php 才谷屋跡

http://www.city.nankoku.lg.jp/ryoma/michinori.html 坂本家の道のり:龍馬のルーツ

http://blog.livedoor.jp/akechi_mitsuhide/archives/50112424.html 光秀と信長 坂本龍馬は明智光秀の子孫?

http://matsuyama.web7.jp/chokou/ryoma/ 坂本直行先生と坂本龍馬


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