脱藩の道唯一の都会;大 洲
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脱藩の道唯一の都会;大 洲(おおず)

江戸末期の大洲
江戸末期の大洲は加藤家6万石の城下町、
土佐から伊予に抜ける龍馬脱藩ルートにある
唯一の都会である。
と言っても、龍馬たちは大洲を通過した
が、大洲は通ってはいない。 大洲市街を
貫く肱川を川船に乗って 通り抜けたので
ある。もとより脱藩者の身が大洲の町中を
通過できるはずもない。肱川を下って行く
川船からの大洲城に、龍馬はどんな感慨を
抱いたのだろうかか?
なお、大洲前後の脱藩ルートの状況に
ついては下記の記事を参照されたく。

脱藩ルートのあらまし
 龍馬は惣之丞とともに3月24日高知を出発し、
25日に梼原に到着。その夜、梼原の勤王の志士
「那須俊平・信吾父子」の家に泊まり、翌26日
未明、俊平・信吾父子の道案内により、宮野々
番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて
伊予土佐境の韮ヶ峠を越えて伊予の国(愛媛県)
に脱藩しました。
信吾は韮ヶ峠より引返したが俊平は同行を続け、
小屋村(旧野村町)、水ヶ峠(旧河辺村)を経て
泉ヶ峠(旧五十崎町)に宿泊、27日早朝 宿間村
(五十崎町)に着いた。俊平はここから引返し、
龍馬、惣之丞は船便にて長浜町へ。その夜、富屋
金平衛宅に泊まり、28日船で2日を要して三田尻
(山口県)へ到着しました。
引用先:www.dappannomichi.com/jiten/jiten-001.html

川船で宿間亀の甲から長浜へ
 肱川の支流・小田川の畔に宿間集落があり、
宿間の最下流の部落が亀の甲である。
当時は小田川を利用して、大洲・長浜方面へ
船便があり、賑わいを見せていた。
亀の甲も船便の重要な拠点で、河辺や肱川、
そして高知からも楮・繭・木炭等が馬で運び込ま
れ、此処から川船に積んで大洲や長浜に運んで
いた。また帰り便では魚や塩を運んでいた。
この船便は、長浜までの下りは1日で行け
た。此処まで来ると、船に乗りさえすれば迷う
ことなく長浜に到着できる。那須俊平は、龍馬
等が川船に乗るのを見届けると、直ぐ様檮原へ
引き返している。
だから、この間の脱藩経路は明白で、小田川
は亀の甲から少し下ると大洲市の成能で肱川と
合流し、臥龍山荘、大洲城を左手に見ながら
終点の長浜を目指す。
引用先:http://homepage3.nifty.com/kaientaidesu/
html/zappan5.htm




図1大洲複合マップ(江戸時代部分クリックで江戸時代の大洲/周囲部分クリックで現在の大洲拡大)


図2小田川-肱川マップ:龍馬が船で通過した内子町宿間から大洲市街まで

写真1大洲城と肱川俯瞰:東方向からの俯瞰(クリックで拡大)

写真2龍馬脱藩ルート空撮:韮ヶ峠から長浜の伊予ルート(クリックで拡大)

参考文献
写真・図面引用先
写真1 大洲城俯瞰:http://ji5isl.exblog.jp/5769371/ 武市半平太生家
写真2 龍馬脱藩路空撮:http://yoyochichi.sakura.ne.jp/yochiyochi/2016/09/post-343.html 時空散歩 予土国境 坂本龍馬脱藩の道を歩く その5
図1 大洲複合マップ:GoogleMap地形図&江戸時代の大洲:太陽コレクション 城下町古地図散歩 6 平凡社 
図2 小田川-肱川マップ:GoogleMap地形図