長州藩壇ノ浦砲台、写真引用先:旧ふきのとうドットコム

 11. 関門:亀山社中から海援隊へ
   (1866年 龍馬 32歳)

  慶応二年年春、龍馬が薩摩で療養中
 長崎では持ち船ワイルウエフ難破、
 近藤長次郎自決などの不幸が連続する.
 六月、龍馬は長崎を弔問の後、長州へ
 転売予定の軍艦乙丑丸で下関に向かう.
 折しも幕府の第二次長州征伐の最中、
 龍馬は高杉晋作の要望に応え、乙丑丸
 ほかで龍馬艦隊を編成、オテント丸
 など高杉艦隊と連携し奇兵隊の侵攻
 を支援. 八月一日、小倉城は陥落.
  一方、亀山社中経由入手の新型銃で
 装備した大村益次郎軍も石州口の幕軍
 を壊滅させ長州戦は終結する.
  長崎に戻った龍馬は、社中の行き詰
 まりを打開するため、折良く和解を求
 めてきた土佐藩(後藤象二郎)などの
 出資を受け入れ、亀山社中を海援隊と
 改めた. 宇和島藩から貸与のいろは丸
 衝突沈没なども起こったが、薩長同盟
 のや土佐藩との連携を背景に、龍馬の
 海運事業は盛況の一途にあった.