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 船中ハ策

 船中八策(せんちゅうはっさく)は、坂本龍馬が長崎から大坂に向かう土佐藩船、
夕顔丸の船中でに起草した新国家体制の基本方針とされる政策案の俗称である。  

 慶応3年(1867年)初夏、坂本龍馬は長崎で「いろは丸沈没事件」の処理や「海援
隊」の設立準備に奔走していた。そして、これら難問題の解決の大きな力になったの
が土佐藩参政、後藤象二郎である。                      
 後藤象二郎といえば、かって土佐勤王党を弾圧し、龍馬の盟友である武市半平太を
死に追いやった張本人であり、龍馬の仇敵とも言える人物だ。しかし今、新しい日本
への維新を目指す龍馬にとって、それはもはや瑣末事であったし、脱藩したとはいえ、
故郷の土佐を深く愛する龍馬としては、土佐藩からの財政支援や政治力的サポートの
受け入れに何ら抵抗はなかっただろう。                    
 一方、維新動向に遅れをとる土佐藩としては、失地回復のためには 薩摩や長州に
太いパイプを持つ龍馬の力に頼らざるを得なかったのだろう。          

 折しも薩長同盟に加え薩長芸倒幕同盟が成立、土佐藩の将来を危惧した後藤象二郎
は龍馬を訪ね、土佐藩の対応策を乞うた。龍馬は以前から想い画いて来た「大政奉還」
を土佐藩から徳川慶喜に上申するよう提言した。後藤は感嘆し、四侯会議出席のため
上洛中の山内容堂に進言しに行きたいと言い、龍馬に同行を要請した。      
 快く引き受けた龍馬は、6月9日土佐藩船、夕顔丸に後藤象二郎と乗船し大坂に向か
う。そして、この船中でまとめたのが、大政奉還を盛り込んだ「船中八策」であり、
後藤象二郎に対して口頭で提示したものを、同行していた海援隊士の長岡謙吉が書き
とめ成文化したとされる。伝えられる、その内容は以下のとおりである。     

一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、
  万機宜シク公議ニ決スベキ事。
一、有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、
  宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
一、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。
一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
一、海軍宜シク拡張スベキ事。
一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。

 このこの船中八策は、かって龍馬が教えを請うた横井小楠の『国是七条』を参考に
作られ、さらに龍馬と交流のあった勝海舟、大久保一翁の影響も指摘されているが、
いずれにしても、当時としては画期的な条文が記されており、明治政府の綱領である
五箇条の御誓文の基礎になったと言われる。                  
 そして、後藤象二郎から前土佐藩主・山内容堂へ「船中八策」が進言され、容堂は
徳川慶喜に大政奉還を建白した。                       

 しかし長岡謙吉が書きとめた原本は現存せず、複写本も残っていないため、夕顔丸
船中でまとめ後藤象二郎に手渡した正確な文面は不明である。ただ、龍馬は大政奉還
後の11月に、船中八策と内容が共通した「新政府綱領八策」と呼称される新政権構想
を複数自筆しており2枚が現存している。(国立国会図書館と下関市立長府博物館)
 写真1 土佐藩船夕顔丸(龍馬記念館展示模型)

 写真2 長岡謙吉

 長岡 謙吉(ながおか けんきち、天保5年(1834)
 -明治5年(1872)土佐藩出身、海援隊員。別名は
 今井純正。浦戸町の医師・今井孝順の子。幼少期は
 河田小龍の下で蘭学、その後は江戸大坂遊学、安政
 6年(1859)長崎で二宮敬作に医学を学ぶがやがて
 脱藩し海援隊参加。龍馬は長岡の才能を高く評価し
 海援隊の通信文書の作成など事務処理の大半を一任。
 慶応3年(1867)龍馬が暗殺されると海援隊の2代目
 隊長に選ばれ、戊辰戦争で活躍。
 写真3 横井小楠


  横井 小楠(よこい しょうなん)
  文化6年(1809) - 明治2年(1869年)   熊本藩士、儒学者、政治家。維新十傑。
  熊本藩において藩政改革を試みるが、
  反対派による攻撃で失敗。その後、福井
  藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、
  幕政改革や公武合体の推進などで活躍。
  明治維新後に新政府参与、暗殺された。

 写真4 龍馬自筆の新政府綱領八策


 「新政府綱領八策の内容は 次の通りである。
第一義 天下有名ノ人材を招致シ顧問ニ供フ
第二義 有材ノ諸侯ヲ撰用シ朝廷ノ官爵ヲ賜イ現今有名無実ノ官ヲ除ク
第三義 外国ノ交際ヲ議定ス
第四義 律令ヲ撰シ新タニ無窮ノ大典ヲ定ム律令既ニ定レバ
    諸侯伯皆此ヲ奉ジテ部下ヲ率ユ
第五義 上下議政所
第六義 海陸軍局
第七義 親兵
第八義 皇国今日ノ金銀物価ヲ外国ト平均ス
「右預メ二三ノ明眼士ト議定シ 諸侯會盟ノ日ヲ待ッテ云々 ○○○自ラ盟主ト為リ 
此ヲ以テ 朝廷ニ奉リ 始テ天下萬民ニ 公布云々 強抗非礼公議ニ 違フ者ハ断然
征討ス 權門貴族モ貸借スル ナシ」。

 この新政府綱領八策は、「船中八策」ほど文章が整っていない。あくまでも船中八策
の骨子をメモした龍馬らしい文体である。
 ところで、文末にある「○○○自ラ盟主ト為リ」の○○○が誰を指しているのか、ある
いは単なる代名詞なのか、は興味を引く謎ではある。


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            参考文献
 写真引用先
  写真1 夕顔丸模型:http://www.attaka.or.jp/feature/tabicon-03/blog/d1568927/ 「酔って候」の世界を歩く
  写真2 長岡謙吉:https://ja.wikipedia.org/wiki/長岡謙吉 (説明文も)
  写真3 横井小楠:https://ja.wikipedia.org/wiki/横井小楠 (説明文も)
  写真4 龍馬自筆の新政府綱領八策:http://chagu3.blog.ocn.ne.jp/popi/2010/10/post_5a88.html 竜馬・船中八策

船中八策参考文献
http://chagu3.blog.ocn.ne.jp/popi/2010/10/post_5a88.html 竜馬・船中八策

http://ja.wikipedia.org/wiki/船中八策

http://www.ryoma-den.com/ryoma/sentyuhassaku.html 龍馬人物伝 > 船中八策

https://ja.wikipedia.org/wiki/新政府綱領八策

https://ja.wikipedia.org/wiki/新政府綱領八策

http://matiere.at.webry.info/201001/article_1.html 【龍馬伝】 船中八策

http://www.ryoma-den.com/ryoma/sentyuhassaku.html 坂本龍馬人物伝 船中八策

http://booklog.kinokuniya.co.jp/nei/archives/2013/07/post_12.html 『「坂本龍馬」の誕生 船中八策と坂崎柴瀾』千野文哉(人文書院)

http://45ryouma.jugem.jp/?eid=67 ヒダリナナメ45度の竜馬伝


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